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19世紀後半のフランスで起こった芸術運動で、19世紀半ばに起こった写実主義が受け継がれたもの。
現実の風景をそのまま写し描くことが重視され、屋外の建物や人物などが明るい色彩で描かれているものが多くあります。
印象派の名前の由来は、現代では世界的に知られる画家モネの「印象、日の出」に対して「ただの印象を描いただけだ」と酷評されたことがきっかけでした。
また、印象派のひとりであるマネが「印象」という言葉を多用していたことも由来しています。
当時、風景画や人物画はフランス王立の美術アカデミーに評価されることはありませんでした。そこで、アカデミーで評価されなかった画家たちは自分たちで展覧会を開催するようになります。
この印象派展に参加した画家たちを総じて「印象派」とも呼ぶようになりました。
印象派は、19世紀半ばの写実主義の影響を大きく受けています。これまでの古典主義やロマン主義では、神話や聖書、歴史上の出来事をテーマに人物やシーンが描かれていました。
その後、写実主義や自然主義が登場し「ありのままの光景を写実的に描く」芸術が登場しはじめます。
17世紀から長い間、フランスの美術界では王立美術アカデミーが権力を持っていました。王立のアカデミーではテーマが格付けされていました。
神や神話の世界を描く古典的な芸術は崇高で、現実の世界を描く風景画や風俗画は低俗であり「格下の芸術」とされていたのです。
このような保守的な芸術界に異を唱えたのが、ロマン主義以降の芸術家たちです。
美術アカデミーに評価されることのなかった印象派の画家たちは、1874年にみずから展覧会を開催しました。また、定期的に展覧会を開いたことで、市民を中心に知られていきます。
日常の風景がテーマになった絵画は市民に好評で、広く受け入れられるようになりました。
印象派は屋外で制作されるスタイルが多かったため、風景画や建物の絵画が多くあります。自然や風景、街の人々の生活がテーマになっており、写実的かつ色彩も鮮やかに描かれました。
これは、パリを中心に鉄道や蒸気船が発達したことに伴うもの。画家がアトリエから屋外に出て制作するスタイルへと変化したからと言われています。
また、絵画の技法では、異なる色の絵の具を塗り重ねる「筆触分割」が多用されました。絵の具をカンバスにそのまま乗せ置くようにする表現は当時画期的で、より鮮やかに色を見せることを狙ったものでした。これは視覚混合と呼ばれ、色彩理論の発達が影響しています。
そのため、印象派の絵画では、筆跡の残る荒々しいタッチで、ラインをぼかすように仕上げられているのが特徴です。
印象派の先駆者であり指導者として知られるマネの「バルコニー」があります。
また、今では近代風景画の父とも呼ばれるクロード・モネの「印象・日の出」、パリ近郊の風俗画や風景画を描いたルノワールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏場」が印象派の代表的な作品です。