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1700年のはじめ頃からフランス革命前まで続いた美術様式です。ロココ美術の舞台はフランスで、開放的で自由奔放な表現が特徴。「ロココ」の名前の由来は、「ロカイユ装飾」という貝殻の曲線を用いた家具や装飾品からつけられたものです。
そのため、豪華な家具や装飾品を描いた、優雅で甘美な貴族らしい雰囲気の絵画がメイン。女性の裸体画をはじめ、豪華絢爛なドレスを着た女性の肖像画なども多く描かれました。
線をはっきり描かずぼかしたタッチで、色合いもソフトで軽やかな絵画が多いです。
ロココ美術の名前の由来にもなった「ロカイユ装飾」。ロココ美術は、このロカイユ装飾のような表現という意味も持っています。そもそも、ロココ美術のはじまりは絵画ではなく、貝殻の曲線を多用した建築やインテリア装飾でした。
当時は、金細工や家具、服飾、陶器など、あらゆるものの装飾にこのロカイユ装飾が用いられました。この影響が絵画にまで及び、特徴的な画風が生み出されたと言われています。
ロココ美術がおこる前のフランスでは、王家や教会を対象としたダイナミックな絵画や彫刻美術がメインでした。絶対王政と言われた時代が続き、人々は圧迫されながらも重税を納めていました。
しかし、度重なる戦争や産業振興の失策により、フランスは深刻な財政難を起こします。
そうして終わりを迎えたルイ14世の時代からルイ15世の治世に入ると、政治不満の蓄積から解放された反動で、それまでとは相反する美しく優雅で繊細なタッチの芸術が流行するようになりました。
また、ロココ美術がこれほどまでに広まった要因は、ヴェルサイユ宮殿の造営にはじまったフランス貴族のサロン文化と言われています。
1725年から定期的に開催されたフランス公式の美術展覧会「サロン・ド・パリ」。この展覧会で認められれば一流とみなされたため、多くの画家がサロン入賞を目指して切磋琢磨するようになりました。
そして、これまでは限られた人しか見ることのできなかった美術が、サロン開催をきっかけに幅広い層に鑑賞されはじめるようになったとも言われています。
ロココ美術のはじまりとして知られるのが、アントワーヌ・ヴァトーの「シテール島の巡礼」です。華やかな衣装を着た若い男女が、グループで宴を開いている様子が描かれています。
この作品は、「フェート・ギャラント(雅宴画)」と呼ばれる新しいジャンルを生み出した代表作とも言われています。
また、ロココ美術の後期を代表する作品として知られているのが、ジャン・オノレ・フラゴナールの「ぶらんこ」です。あわいビンク色のドレスを着た若い女性が、庭園でブランコを軽やかに漕いでいる華やかな様子が表現されています。
セクシュアルな意味が含まれていたため、画壇では不評でしたが、市民には大人気。版画も多く刷られて多くの人から愛されました。